☆ あまりにもすばらしいそのほかの特技 ☆

勉強第一なのは分かりました。

第二、第三もあるんです、人によってだいぶ違うんですが。



部活マン結構メジャーです。

ぼくの親しい友人は、1週間7日のうち、6日は練習しています。

平日は毎日昼と夕方に練習があり、土曜日は朝から学外のコーチの元で練習します。



ぼくのクラスメイトは、部屋に住んでいません

朝から練習があるので、練習所の近くで合宿しています

毎日練習場所から大学に通うのは大変ですが、練習の成果あって筋肉ムキムキです。



音楽のマスターたちも多いです。

先日の五月祭で、日ごろの練習の成果が発表されました。

すごかったのは、ラテン・ジャズの発表をしたグループでした。

プロ・ミュージシャン顔負けの腕で、ラテン・グルーブにあわせてスウィングしまくりです。(JAZZの大好きなぼくには、感激ものでした。)



ぼくの違うクラスメイトは、アンデスの音楽にはまっています。

彼はいつも名前を聞いたこともないような不思議な楽器を持ち歩いています。

アンデスに行きたいので、独学でスペイン語を勉強してます。

ときどき、「潤タHola!」って挨拶されたり、「Gracias.」とか言われます。



高校の同級生は、ボイパのマスターです。

アカペラ・グループを組んで、曲を生き生きとしたものに変えます。

そういう彼も、大人気航空宇宙学科のひとりです。



五月祭では、びっくりな展示がありました。

なんと、レゴ・ブロック安田講堂のスケール・モデルを作っちゃってます。

そんな彼らは、レゴ・サークルです。



激戦を勝ち抜いて見事建築学への進学を決めた彼女は、年に2,3度ファッション・ショーを開きます。

独創的な服装とモデルのような長身で、芸術を体現しているかのようです。



ぼくのex-クラスメイトで、都市工学科の友人は、塾講師に燃えています。

どうやったら生徒の学習を効率よくしようと、教材の準備に余念がありません。

ジレネクタイを粋に着こなす彼は、スーツで登場することもしばしばです。



同じくex-クラスメイトの彼は、長身と器用で長い指が自慢のマジシャンです。

さっきまで彼の手の上で転がっていた小さなボールが、次の瞬間消えてなくなるなんて、彼の周囲の人間にとっては日常的な出来事です。

ふとしたときに披露するトランプ手品と巧みなトークで女の子から大人気の彼は、機械工学科です。



学校の授業にちゃんと出席しながら、どうすれば会社で働く時間を多く取れるか、いつも考えている人がいます。

そんな彼女は、スーツ姿で授業に現れ、講義が終わるとすぐにインターン先へ取って返します。

そんな彼女は、すでにスーパーキャリアウォーマンです。



ぼくは小説家を知っています。

メガネをかけたその人は、教室の後ろでノートパソコンを開き、創造性が赴くままに紙面上に別世界を構築していきます。

そんな彼も、立派な工学部生です。

☆ 東大工学部生の生活で一番を占めるもの ☆

恋人第一主義の人とか、部活動命!の人とか、ほとんど社会人、、、の人とかも一部いますが。

東大工学部生の本命は、大学の授業!です。

過酷な課題とレポートに追われていても、基本スタンスは全て提出です。

とにかく、大学の勉強にむしゃぼりつきます



大学生なのだから、勉学に勤しんでいるのが当たり前、と思っているソコのあなた!

高校生と大学生とでは求められているものが違うんですよ!

高校生までは、学校から与えられたものをみんなでいっしょにこなしていけばよかったんです。

ところが!

大学生になってからは、そもそもみんなで同じ活動をする機会も激減します。

部活動とか、サークルとか、アルバイト先とか、同じ興味を共有する仲間はいるのですが。

基本、周りの人は自分と違うことに興味を持ち、自分と違うグループで活動し、自分と違う学問を修めるんです。

大学生になったら、自分は何をしようか、悩まなければならないんです。

求めなければ、大学から学問を与えられることすらないのですから。。。



ですから、東大工学部の学生たちが大学の講義に真摯に臨んでいるのは、むしろすばらしい特徴です。

こんにちは!

火曜担当の山田(裕)です!


というより、はじめまして!

ぼくは、東大工学部システム創成学科の3年生です!

日曜担当の山田さんより、13,4歳ほど若いです!



今回は、東大工学部生の日常を、垣の隙間からのぞいてみたいと思います!

あ、垣根の隙間から見える部分ってそんなに多くないので、全部は紹介しきれないです。

それに、のぞいたなんて、あんまり大きな声では言えないですしね。

青チャートの利用法

[東大受験:受験勉強法][東大受験:セレクト!おススメ。]

こんにちは、赤坂です。
最近僕が更新しまくりです。^^;

さて、本日は青チャートの利用法について。。。

『青チャート』や『一対一対応の演習』など、これまでにオススメしてきた参考書は、いずれも入試の基本〜標準レベルの解法を網羅的に身につけるために使うという位置づけのものでした。

ここでは、それらの教材からどのように解法パターンを抽出し、身につけていくか、ということを考えてみたいと思います。

これまで「解法のパターン」という言葉を漠然と使ってきましたが、どうも言葉が先走っている感が否めません。
それでここで少し「解法のパターン」というものを要素分解してみようと思います。

ある数学の問題を思い浮かべて下さい。

その問題を解くのに必要なことは何でしょうか?

僕が考えるに、それは、

1.気付き(方針の決定)

2.形式化(公式・定理の運用)

3.処理(計算)


の3つだということです。
それぞれについて解説していきます。

1.気付き

まず、ある問題を見たときに「どうやったら解けるだろう?」「どんな定理が使えるだろうか?」ということを考えます。
そのときに、「この方針でやったらどうか」ということが思いつくかどうか、というのが“気付き”です。
解法の方針は実際には一つではなく、むしろ複数あるのが普通です。
従って、とにかくいくつでもいいので、解けそうな方針を自力で立てられるか、というのがポイントとなります。
この気付きが上手くできない原因は、

(a)まだ習っていない内容が出てくる問題である
(b)習っている内容が、全く見たことのないパターンで出ている

のどちらかとなることがほとんどでしょう。
いずれにしても、気付きができない場合は、解答・解説を先に見てしまい、どのような内容を運用すればその問題を解くことができるかを確認すれば良いのです。
あとは復習時にきちんと気付ければOKです。

2.形式化

これは、問題に与えられている条件を上手く数式に落とし込むことです。
計算問題のような単純なものなら、このステップは必要ありませんが、多くの問題では、与えられている条件を数式に表す必要が生じてきます。
このときに定理や公式などの既習内容を動員することになります。
この形式化が上手くできない原因は、

(a)問題文に出てくる用語の意味、定義が分からない
(b)使うべき公式や定理が“身についていない”

のどちらかとなることがほとんどでしょう。
いずれにしても、原因となるのは知識の不足、あるいは知識の定着不足です。
教科書に出てくる用語の意味をなどが分からない場合は、○で囲った上で調べましょう。
基本的な定理や公式が全くダメな場合は、教科書の例題レベルの問題を解くなりして基本事項をおさえるのが先です。
それが出来ていても解けない場合は、解法を見て「どの定理を、どのように使っているか」を自分なりに解釈して、できればノートや問題集の隅にでも書いて欲しいものです。

3.処理

これは形式化されたいくつかの式を解くことによって答えを導くことです。
実際には、方程式・不等式を解いたり、微積分をしたりといった計算処理でカタがつく部分です。
計算力をつけておけば、こうした処理が早く・正確にこなせる上に、解答解説を読んで解法のパターンを理解する上でも、数式を追うのが苦でなくなるのでかなり効率が上がります。
これは日頃の訓練がものを言いますが、桐書房の『計算力トレーニング』シリーズを使うことでかなりの部分、強化が可能です。


以上のように、数学の解法パターンを、「気付き」「形式化」「処理」の観点で分類し、そのうち自分はどれが出来ていないのかを分析してみてはどうでしょうか。

例えば、一つ一つの問題について、

<5/16>
・気付き:×/原因(b) →5/17○
・形式化:× /原因(a) →5/17○
・処理:○ /この程度の計算はできる
余弦定理を「どの三角形」に「どの辺を起点として」使うかが重要!


といったコメントを付すなどすれば相当に合理的な解法パターンの理解と暗記ができるはずです。


【今回の記事で出てきた参考書】

・解法パターン網羅用メイン参考書

新課程 チャート式 基礎からの数学

1対1対応の演習/数学I大学への数学

大学への数学 1対1対応の演習 数学A

高校入試突破計算力トレーニン

こんにちは、東大医学部3年の赤坂浩二です。
3回目の更新ですね。
立て続けになっています。^^;
皆さんの要望の高いコンテンツってなんでしょうか?
コメント等いただければ反映していきますよ!

僕らの合格体験記なんかですかね??

さてそれでは本日は学校の活用目的の検討について書いてみます。

「内職」を行って学校の授業を聞かない、ということを学習の中心に据えていた僕ですが、それでは学校に行く意味とは何なのでしょうか。

実はこの問題は、学校に行くことの目的として何を想定しているか、ということが全てです。
要するに、目的も違えば「学校に行く意味」も違ってくるということです。
皆さんはどのような目的意識を持って学校へ通っているでしょうか?

今回考えてみたいのは、受験戦略において学校での活動をどう位置づけ、学校生活を自分の生活にどう活かしていくか、ということです。
(ちなみに、ここでいう学校とは、義務教育ではない高校のことを指すと考えてOKです。ただし、中学生の方は自分の状況にあてはめて都度、解釈していただければと思います。)


学校に行く目的は人によりますが、大きく分けて「勉強系」「社会適応系」「面子系」の3つのに分けられます。

〜勉強系の目的〜

1.学校の授業で勉強をするため

2.プロである(?)教師に学習指導をしてもらうため

3.進路指導をしてもらうため


〜社会適応系の目的〜

4.部活動など一人で出来ない活動をするため

5.クラスメイトや教師との人間関係構築のため

6.社会生活を営む上でのルールを知るため


〜面子系の目的〜

7.高校に通っていないと世間的に恥ずかしいから

8.親に高校へ行けと強要されるため

9.高卒資格を取っておきたいから



学校に通う目的は、主には以上のように分類できるのではないでしょうか。
ポイントは、「勉強すること」だけが目的では無いということです。

まず、「勉強系の目的」について考えて見ましょう。

率直に言って、受験だけのことを考えれば、上記の1〜3については、特に学校でやる必然性はありません。

123は全て塾で代用可能であるし、そのほうが効率的であることが多い。
あるいは目的意識の高い人なら、自分で志望校を決め、独学で勉強することができるので、やはり???を自分で網羅できるので学校に行く必要性はありません。
こういうケースでは、学校の定期試験がネックになって、自分のために勉強ができない、と嘆く生徒すらいます。

「受験勉強」という面から見ると、高校に行く必要性というのは無いのです。
それどころか、塾に行く必要性にすら疑問符がつきます。

当たり前なのですが、学校の教師は別に生徒一人ひとりについて親身にやっているわけではありません。
実はそれは塾講師でも同じです。
どの生徒も、結局は「数多くいる生徒のうちの一人」でしかないのです。

つまり、「自分のために」用意された授業があって、「自分のために」尽くしてくれる教師がいて、それに乗っかっていれば受かる、といった“ラクな”話は無いのだということです。

「じゃあどうすればいいんだ」と言う生徒もいます。

結論としては、自分の勉強は、自分でマネジメントするより他は無いということです。
「自己責任」と言い換えてもいいと思います。

行きたい大学に落ちたときに他人のせいにしても何も解決しません。
だから自分なりの目標設定をして、それに向かって努力を積み重ねるようなプロセスを経ることが大事だと思うのです。

そして、目標設定のやり方や学習法の工夫については、昔に比べるとはるかに情報が充実しています。
ウェブや書籍等の形で情報が溢れているわけですから、自分で情報を集めて「このやり方でやってみよう」と取り入れるのが手っ取り早い。
取り入れた方法を自分なりにカスタマイズして実行できれば、それはもう「アナタのテク」だということです。


ちなみに、高校に行かないで毎日10時間自分で参考書を使って勉強し難関大学に入ろうとする生徒もいます。
実際に驚異的な効率で学習を進めています。


さて、最初の話が長くなってしまいましたが、次に「社会適応系の目的」について考えます。

いくら学校の勉強がつまらなくても、「部活が楽しい」「友達と会えるのが嬉しい」という場合は、ほとんどの場合、学校へ行くでしょう?
これらは勉強以外のところで学校に価値があることの代表例です。

学校に行くことの目的として4〜6の「社会適応系の目的」を持っている人にとっては、学校に行く価値というのは十分にあると思います。


仕事を始めれば人間関係の構築が大事になりますし、高校時代に作った友達と一生の付き合いができることも多いわけです。

僕も、同好会を作って活動したり、文化祭や運動会で盛り上がったりといったことがすごく楽しかった。
友人もできたし、人間関係や自分の見る世界が広がった感じがします。
そこで得られた“経験”も、一つの価値となるのです。

ただ、わざと自分の言ったことに反論するならば、そうした「社会適応系の目的」に対して、学校だけが最適な手段となるわけではありません。

部活動のようなことは、近くのスポーツクラブに行ってもできるし、友達作りなど、学校に範囲を限定せずにできてしまう時代です。
従って、今述べたようなことで学校に価値を見出せない人も、いるのではないでしょうか。

最後に7〜9「面子系の目的」について述べます。


7〜9の各目的に対して学校の価値が認められないという場合でも、多くの生徒は高校に通い続けます。

「高校ぐらいちゃんと卒業しろよ」という常識が浸透しているために、どんなに高校が嫌でも辞めづらいという事情があります。
これが結構大きいのでは、と思います。

ただ、僕はこのことが悪いことだとは思いません。

確かに、常識に従っていると、しばしばそれが合理的でなく、また無意味に思えることがあります。
高校に通って何の意味があるのか、ということを考えている人は多いと思います。

しかし、常識に従うことで得られることがあります。

それは「安心」です。

常識に従うことで得られるのは安心です。
常識に何となく従っていれば、とりあえず社会からつまはじきにされることは無いし、やっていけるという面はあるわけです。
そもそも「常識」というのはおそらく社会の共通性というか、前提のようなものであるわけですから。

ただ、逆転合格を狙って勉強しているような“後が無い”ケースでは、常識に従って何となく勉強するのは致命的なハンディキャップになるということを認識する必要があります。
極めて平易にいえば、人より勉強ができるようになりたいのなら、人と同じことをしていてばダメだ、ということになります。

奇を衒えといっているわけではありません。
常識を疑い、その意義を問い直した上で、自分なりの身の振り方を考え、実行することに意味があるのです。

そう思えば、場合によっては高校に行かずに大検を受ける、または通信制の高校へ行って卒業資格だけは取る、といった選択肢も、一つの戦略として有効であると結論できるでしょう。


安易に「学校の授業を聞いていいればナントカなる」と思う姿勢、「塾に通いさえすれば安心だ」と思ってしまう姿勢は、結果的に受験勉強をより辛くさせると思います。

授業を受けるのでも、「この授業から学べることは全て学ぶぞ!」と意気込んで工夫を凝らして受けるのであれば効果はあるでしょうし、一定の効率は得られます。

その期待に応えられる授業がなされていないのであれば、割り切って自分で勉強する、すなわち内職することも有効な方法なのです。

それは学校の価値を踏みにじっているわけではありません。

むしろ、その学校のいいところを取り入れつつ、不十分なところを生徒自らが補完しているという意味で、実は“学校の価値”(=比較優位性)を引き出していることになるのです。


もし学校に全般的に価値が見出せないのなら、辞めてしまうのも選択の一つです。
その際には、学校を辞めることによる「疎外感」「孤独感」に耐えられるかどうか、常識から外れた道を選ぶことへの「不安」を引き受けられるかどうかを、きちんと胸に問いかけてから決断すべきであると思います。

こんにちは、東大医学部3年の赤坂浩二です。
二回目の更新です。
本日は、受験生なら誰でも通るであろう問題、、、「内職」について書いてみたいと思います。

「内職」というのは、学校の授業等の時間に自分のための学習を進める行為のことです。
例えば、受験で選択しない世界史の時間に数学の問題集を解いたり、つまらない現代文の授業時間で古文単語を覚えたり、といったことが含まれます。

内職は限られた時間で学力を上げなければならない受験生にとっては、非常に有効に機能し得ます。
僕の出身校である開成高校などでは、5〜6割くらいの授業は「内職OK」で、教師もあまりうるさく文句を言いません。
僕の場合は、その時間を最大限利用して、受験のための勉強に学校の授業時間を活用していました。

自宅に帰って夜に勉強するよりは、学校で勉強を進める方が、ゲーム、マンガ等の誘惑も少なく、圧倒的に効率がいいはずです。
内職を取り入れることが理に適っているということ自体は、皆さんも納得されることでしょう。

しかし、内職行為に否定的な教師がほとんどを占める学校(話を聞く限りでは公立高校などに多いし、また実際、私の小学・中学でもそうだった)では、内職行為が発覚した途端に、教師に参考書を取り上げられたり、こっぴどく叱られて嫌味を言われ続けるなどの “被害”が発生すると言います。
こういった学校で堂々と内職をするのは、かなり骨が折れるでしょう。
実際に、内職を始めようとした途端に教師との確執が起こるケースが、僕自身が指導している生徒を含め、多数報告されています。

本来なら、授業の質に自信を持てない(つまり生徒の学習成果に対する結果責任を背負うつもりのない)教師が、「内職をするな」「俺の授業を聞け」と主張するなどといったことはもってのほかです。
しかし、こうした教師が生徒の言い分をきちんと聞くことは稀ですし、実際にそういった教師が存在していることは事実ですので、その対策を考えなければなりません。

今回考えてみたいのは、「内職を実行することの決定基準」と、「実行に移す際の技術」についてです。

1.内職を実行することの決定基準


これまで僕は、ある授業において内職を実行するか否かを、次の基準で判断すべきだと主張しました。

・受験科目でない
・受験科目だが、自分の判断として役に立たない


以上のいずれかの場合に内職せよ、ということでした。
しかし、これだけの基準で上手く行かないことも分かってきました。
そこで、内職を実行する際の決定基準を、次のように書き換えてみてはどうか、と思います。

(内職現実性)=(得られるメリット)−(内職にかかるコスト)≧0


要するに、内職から得られるメリットがコストを上回るなら内職せよ、ということです。
また、大雑把にメリットとコストを定式化すると、

(得られるメリット)=(得られる勉強時間)

(内職にかかるコスト)=(内職をすることで浪費される時間)


です。

例えば、ある授業中に、内職をすることで40分の勉強時間を得られるとしましょう。
しかし、後で教師が怒って問題集を取り上げに来ると、それ以降の勉強が進まないので、圧倒的に“浪費される時間”が多くなってダメです。
呼び出されて説教を聞くハメになるのも時間の浪費です。
教師に授業の度に文句を言われ、家に帰ってから「あの教師ムカツクー!」と怒って勉強が手につかない、あるいは勉強してもイライラが募って集中できないのも、結局は時間の浪費に帰着できます。

これらを大雑把に勘案して、内職してメリットがあるかどうかを、授業ごとに決定していけばいいわけです。
もちろん、一度内職を諦めた授業でも、後で内職可能になるかも知れませんし、その逆もありえます。
ここら辺は絶えず時間の使い方を振り返ることが大切になってくると思います。


☆内職コストが高すぎる場合の対処法☆

まず、受験科目の授業の場合、おとなしく授業を聞いておくのも手です。
下手な授業でも得られることはゼロではないはずです。

受験科目の授業でなくても、参考書や問題集を解くのでは無く、頭の中で自分の学習状況を振り返ってみるのもいいでしょう。
復習をすべき箇所は無いか、とか、次に使う参考書はどうしようとか、あるいは大学に入ったら何しようかと考えるのモチベーション向上に役立っていてGoodです。

2.実行に移す際の技術

内職実行に際しては、以下の3パターンが有効であると思います。

・普通に内職

これが出来れば苦労しない…と言われそうですが、堂々と内職できるのならば、やりたいようにやればいいと思います。

・後ろめたさ発揮型内職

参考書・問題集は膝の上に置くか、教科書に挟んで隠す。
授業中は定期的に黒板の方を向いて「授業を聞いているよ」とアピールする。
あてられたらきちんと答えるよう努力する。

これら3つを実行するだけでも、教師から見た印象はだいぶ違います。
上手くやればバレないので、現実的な方法でしょう。

・徹底内職

問題集などは全てコピーをとってプリントにしておく。
色つき(赤、緑など)の下敷きを買っておく。
色つきの下敷きの下に問題集のコピーを挟んで、教壇からバレないようにして読む。
このやり方は問題集をコピーする時間とお金がかかりますが、何よりバレにくいです。
また、コピーしたプリントの中から、解けない問題のものだけを集めた復習カードが作れます。
「後ろめたさ発揮型」のテクニックも組み合わせると、かなりバレにくいのではないかと思います。


その他、有効なテクニック案などありましたら、是非ともコメントをお寄せ下さい。
ここらへんのアイデアは皆で共有しましょう!


もちろん、内職は他の生徒や授業の進行の妨害をしないという前提があってこそ成り立つものです。
今さら言うのも何ですが、紳士的にやってくださればと思います。

ここでは教師との関係構築法については深く突っ込んだことは描きませんでした。
それはまたお話できればと思います。

はじめまして、東大医学部3年の赤坂浩二です。
このブログでは3人目の執筆者ですね。
どうぞよろしくお願いします。

本日は
文系、理系と職業
について書いてみます。

志望校や学部の決定によって、将来の仕事にどのような影響が出るか、高校生の段階で知っている人は少ないと思います。
むしろ、16〜17歳で社会人の仕事の状況が分かる方が変ですよね。


**・文系と理系

文系の方が、一般的には早い時期に就職するので生涯賃金が高いことが多いです。
就職難と呼ばれているのは、おそらく就職に「高望み」をしているからであって、とりあえず就職するだけであれば、できないということは無いのではと思います。
企業の現場では人材不足が叫ばれていますので、就職に不利ということはないのでは、という感じです。

一方、就職しやすいといわれている理系ですが、ハテ本当にそうなのか、と個人的には思います。
もともと理系の学生は大学院に進学することが多くなっており、就職時期が遅くなるというデメリットがあります。
また、博士号取得者は実際のところ、年齢も30歳前後になっていることが多く、就職が修士卒よりもずっと大変です。
頑張って勉強したからといって報われるとは限らないわけです。
製薬業界などは収入が多いことで有名ですが、薬学部進学はどんどん難しくなってきています。


**・理系の家計簿

むしろ、理系の人が修士や博士になるまでには学費や生活費がかかるので、お金持ちの家でないときついはずです。
私立であれば理系学部は学費も高いので、かなりお金がかかります。

修士まで6年で、東大ですら学費(324万円+入学金)がかかります。
私立であればこの2〜3倍以上するのは避けられません。
生活費や専門書の購入代金、家賃などのお金も、卒業までに1200万円くらいかかると思います。
そうすると、おそらく大学卒業までに2000〜3000万円かかることになります。
博士、となると、さらにこの1.5倍〜2倍近くかかるはずです。

文系なら、学費はそれほど高くない上に、原則、4年で卒業して終わりです。
それなら、4年間大学に通っても、1500万円くらいあれば何とかなりそうです。

僕は研究をやりたいと思って張り切っているのですが、家にお金がありません。
なので自分でお金を稼いでいます。
必死でバイトをしながら何とか卒業して臨床医になる、という道しか残されていなかったと思います。

バイトもせず、好き放題旅行に行き、サークルに打ち込める身分の人がうらやましくも思えます。
が、個人的には自分で稼いだお金で好きに生活した方が、断然充実しているし楽しいと思うので、今の生活は全く嫌ではありません。

理系はお金がかかる、というのもまた厳しい現実なのです。



**・仕事と文系、理系

個人的には、理系の方が将来性があるなどとは全く思いません。
文系の人でも仕事の仕方次第では可能性は無限大です。
IT企業は高度な理数系的知識が要りますが、実際、そういう会社の社長が文系のエリートということはよくあります。
それでやっていけないということはないのです。

仕事に理系も文系も無いもので、結局は、論理的な思考力や知識量、コミュニケーション能力などを鍛えた人が活躍できるのではないでしょうか。


とはいえ、やはり最終的に強いのは理系だったりします。
マイクロソフトやグーグルといった企業の創業者は、情報技術の専門家です。
日本の企業も昔から、やはり根底に高い技術力を有する企業が強いのは確かです。
ソフトバンクの孫さんも、もともと自分の発明品である翻訳機を売ってお金持ちになりました。
また、経営コンサルティングで大成する人に理系卒が多いということもあります。
そういうレベルを目指すなら、理系でがっちりと高い技術的バックグラウンドを養うように勉強に励むことは必要です。

文系は技術力が無い、ということでもないのですが。


**・政治経済学部と法学部

率直に言うと、これらの学部についてはあまり知りません。
ただ、進路は大体読めます

政経の人なら、公務員か企業への就職でしょう。
金融、マスコミ、経営コンサルティングなどの高所得業界も視野に入ります。

法学部なら、公務員や企業への就職に加えて、司法の道を選べます。
とはいえ、司法試験に通るのは大変(ダブルスクールが当たり前)ですし、法科大学院進学も難しい上に経済的にも負担がかかります。


ただ、自分で自分の事業を興したいという人であれば、文系や理系はあまり関係ありません。学部によって業界が決まるわけでもありません。
大学名は東大や慶應などブランドがあると信頼性が増すというメリットはあると思いますが、絶対的なものではありません。


人生長い目でみれば、大学受験よりも、職選びの方が重要ではあります。



**・人生のビジョン

最終的には、自分の人生のビジョンが大事になってきます。
自分がどのように生きて行きたいか、ということへの答えとして、大学や学部を選べば、後悔しにくいと思います。



なお念のため記しておくと、理系を目指している人があとで文系に転向する(文転)はラクですが、その逆(理転)は大変です。

理転では、数学の範囲が広くなり難易度が高くなるので、とてもしんどいのです。
迷っている人は、理系にしておけば、後で融通が効きます。

(美貴さんのケースとは違うことになってしまいますね^^;)